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佐々木力教授の定年退職祝い
 天衣無縫のオーガニック事業の現在を語る上で、この人を抜いては語れないという大恩人、東京大学大学院科学史・科学哲学教授、佐々木力さんの定年退職をお祝いする小パーティーが横浜の「坂の上のそばや司」でおこなわれました。
 
 参加したのは今から40年以上前の1968年頃、杜の都仙台の東北大学で「教育科学研究班」という学生サークルで活動をともにした佐々木力さんを最年長とする後輩達7人。(写真の下段中央が佐々木力さん)
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 ご覧の通り、当時20歳前後の若き学徒たちは、それぞれが世界の荒波と人生の修羅場をくぐり抜け、かつては黒髪に紅顔の美少年美少女であった面影はすでに見る影も無く…。でも会が進むにつれて、鯛の塩焼きと美味しい手打ちそばに舌鼓をうちながら飲みすすんだアルコールが程よく回り、「えっ、そんなことがあったの?」という話のオンパレードになりました。以下は、そこで配られた2010年3月発行の「科学史、科学哲学第23号」(東京大学科学史科学哲学刊行会)からの抜粋です。佐々木力さんの当時の「エリート」ぶりと、あの時代の空気の一端をよく表現しているので引用しておきます。

「私は日本の敗戦直後の1947年3月、宮城県の北西部の農山村生まれで、父は建築大工であった。母は元製糸女工である。それで、職人的に腕のいい私は、その跡継ぎとして期待されていたかもしれない。だが父の期待を裏切ってしまった。中学時代から県内で好成績で知られるようになり、古川高等学校に進学するや、数学の成績では全国に知られるようになった。高校三年で東北大学理学部受験を決め、数学を専門的に学ぼうと志すようになった。エヴァリスト・ガロワのような数学者になりたかったのである。
 こうして1965年春、東北大学に入学、その後、理学部数学科に進学した。恩師は、コンパクト位相群に関する「淡中の双対定理」で知られた淡中忠郎教授であった。大学院にも、ほとんど予約していたように進学できた。というのも、修士課程の口述試験で聞かれたことといえば、「奨学資金を希望しますか?」であった。「はい」と答えたら、それでおしまいとなった。東北大学数学教室の恩師たちは、私が東北大学の数学の未来を背負ってくれるものと期待していたようである。
 ところが、大学院に進学しようとしていた1968年、私はエリート数学者としての自分の未来に疑問を抱くようになった。ひとつは、当時の数学のあり方に問題を抱えたことによる。ブルバギ流の極度に抽象的な数学に疑問を抱きはじめたのである。もうひとつは、当時世界中の青年達に怒りを巻き起こしていたヴェトナム戦争に対する反対の気持ちであった。私は典型的な「68年世代」なのである。恩師達は「グレ」てしまった元秀才数学徒におおいに心を痛めたことであろう。
 私の論壇デビューは早い。1968年には学内新聞に数学論をものし、69年には全国誌に論文を書いた。「思想」に拙作を掲載したのは、1970年修士課程在学中で、23歳であった。」

以来40年。そして1980年東京大学に講師の職を得て30年。佐々木力さんは、約5000年にわたる、前人未到の数学史の通史「数学史」を岩波書店から公刊して、東京大学を後にされた。
 
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英語と中国語で翻訳中の、古代オリエント数学から、中世、近世をへて21世紀数学にいたる、約1000ページにいたる大著。
 この「数学史」をふまえた佐々木力さんのこの後の課題は、江戸時代以降の日本の数学史の執筆と「環境社会主義」の観点からの中国の科学史学会中枢への働きかけであると言う。

(written by わたのはな)

*佐々木力さんが「天衣無縫の大恩人である」所以と、その後のエピソードについてはまた別の機会に触れることにいたしましょう。

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by ten_i_muhou | 2010-07-18 14:57 | 暮らしのなかで
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